DXの入口として勧められるGoogle Workspace
中小製造業のDXを検討していると、「まずはGoogle Workspaceを導入しましょう」という提案に出会うことが多い。メール、カレンダー、ファイル共有、表計算がすべて一つのサービスで揃い、月額数百円から始められる。確かに入口としてはわかりやすい。
しかし自分の立場から言えば、中小製造業がGoogle Workspaceに「全部乗せ」する必要はないと思っている。便利な機能を部分的に借りつつ、データ本体は自分の手元に置く。この使い分けを意識するだけで、長期的なリスクとコストの構造がまったく変わってくる。
実際に使われる機能は限られている
Google Workspaceは「全部入り」のサービスだが、中小製造業の現場で日常的に使われるのは、だいたい次の三つに絞られる。
- Gmail: メールの送受信と、迷惑メールフィルタ
- Googleカレンダー: スケジュール共有
- Googleドライブ: ファイルの保管と共有
Google Meet、Google Chat、Google Sites、Currents——こうした機能は契約に含まれていても、中小製造業ではほとんど使われない。全部入りの料金を払って、実際に使うのは三つだけ。それなら、その三つだけを別の手段で手当てしたほうが合理的ではないか、という発想が出てくる。
見落とされる長期コスト
Google Workspace Business Starterは1ユーザー月額680円。安く感じるが、これは積み上がる。
社員20人の会社なら、680円 × 20人 × 12ヶ月 = 年間163,200円。5年で約80万円、10年で160万円を超える。これは「全員がメールとカレンダーを使っているだけ」の費用になる。
コスト差が決定的というわけではないが、「クラウドの月額課金は永遠に続く」という点は意識しておく必要がある。
本当のリスクはコストではない
コストよりも深刻なのは、データの主権の問題になる。
Google Workspaceにデータを蓄積するということは、自社の業務データをGoogleに預けるということ。「預ける」という表現は上品すぎるかもしれない。実態としては、Googleの規約とインフラの上にデータが存在し、Googleのさじ加減一つでアクセスできなくなるリスクを負うということになる。
実際に起きている事象として:
- アカウント停止のリスク。 Googleの規約違反と判定されると、アカウントが停止される。法人アカウントでも例外ではない。停止されると、メール、ドライブ、カレンダーのすべてに一切アクセスできなくなる
- 復旧の困難さ。 問い合わせ窓口はbot対応が中心で、人間の担当者に辿り着くまで時間がかかる。中小企業には専任の法務もいない。停止期間中、業務は止まる
- 料金改定の一方的な通告。 Googleは過去に何度も料金を引き上げている。ストレージの無料枠の縮小やAPIの仕様変更も、利用者への事前相談なく行われる
ローカルにデータがあれば、HDDが壊れてもRAIDやNASのバックアップから自分の意思で復旧できる。しかしクラウドのアカウントが停止された場合、自分では何もできない。この非対称性が最大のリスクになる。
段階的にロックインされる構造
Google Workspaceの厄介な点は、便利に使えば使うほど抜け出せなくなる構造にある。
最初はメールとカレンダーだけ使う。この段階なら乗り換えは簡単。次にGoogleドライブにファイルを蓄積し始める。これもまだ頑張ればデータを移行できる。
問題はその次。Googleスプレッドシートに業務ロジックを載せ始めると、状況が変わる。関数やGoogle Apps Script(GAS)で集計処理を組み、Google Formsで入力を受け付け、GASで通知を飛ばす——こうなると、業務フロー全体がGoogle前提で構築される。
この段階で「やっぱりローカルに戻そう」と思っても、データはエクスポートできるが、業務ロジックはエクスポートできない。GASで書いた処理はGoogle環境でしか動かない。業務フローを一から組み直す必要がある。つまり、移行コストが残留コストを上回り、事実上のロックインが完了する。
GASが便利なのは認める
一方で、Google Apps Script(GAS)には確かに便利な部分がある。
環境構築がゼロ。 VBAはExcelのバージョン差、マクロのセキュリティ設定、32bit/64bitの違いなど、環境面の罠がある。GASはブラウザだけで動く。情シスがいない会社では、この差は地味に大きい。
トリガー(定時実行)が無料で使える。 「毎朝8時にシートを集計してメールを送信する」がコード数行で実現できる。VBAで同じことをやるには、タスクスケジューラの設定とPCの常時起動が必要になる。
ファイルの同時編集ができる。 VBAのExcelファイルで「誰かが開いているから編集できない」という問題が起きない。
これらは実際に現場で効く利点であり、否定するつもりはない。
ただし、スプレッドシートでの大量データ運用は危うい
GASとスプレッドシートで数万行のデータを運用している会社もある。動いているからといって、それが適切かどうかは別の話になる。
- スプレッドシートの上限は1,000万セルだが、実用上は数万行あたりから体感が重くなる
- GASの実行時間制限は6分。データ量が増えると、この制限に引っかかる場面が出てくる
- 関数の再計算がシート全体に走るため、データ量に比例して動作が遅くなる
「動いているから大丈夫」と「安定して運用できている」の間にはギャップがある。そしてデータ量は基本的に増え続けるから、今は問題なくても数年後に限界を迎えるリスクがある。
併用という現実解
自分が考える現実的な選択肢は、GWSに全部乗せるのでも、完全に排除するのでもなく、機能だけ借りてデータは手元に持つ併用になる。
具体的には、こういう使い分けを提案したい。
| やりたいこと | GWSを使う場合 | GWSなしの場合 |
|---|---|---|
| メール+迷惑メール対策 | Gmail | Gmail単体 or 独自ドメインメール |
| カレンダー共有 | Google カレンダー | サイボウズ等のグループウェア |
| ファイル共有 | Google ドライブ | NAS+VPN / OneDrive単体 |
| 定時処理・通知 | GAS | タスクスケジューラ+VBA / Power Automate |
| データ蓄積・表計算 | スプレッドシート | ローカルExcel(データはローカル保持) |
ポイントは最後の行。データの蓄積と業務ロジックはローカルに置く。GWSの便利な機能——Gmailの迷惑メールフィルタ、カレンダー共有、GASのトリガー——は「機能」として借りるが、自社の業務データそのものはGoogleに預けない。
GASのトリガーが便利だからといって、処理するデータ本体までスプレッドシートに置く必要はない。トリガーで起動してローカルのデータを処理する、あるいはトリガーで通知だけ飛ばしてデータ処理はローカルで行う、といった分離は十分に可能になる。
データの置き場所を意識的に決める
結局のところ、重要なのは何をどこに置くかを意識的に決めることだと思っている。
外に預けていいもの: メールのやりとり、スケジュール、一般的な社内連絡。これらは最悪失っても業務が止まるわけではない。
手元に持つべきもの: 見積データ、受注履歴、原価情報、顧客情報、図面。これらは自社の業務の根幹であり、消失したら事業が止まる。アカウント停止や規約変更で突然アクセスできなくなるリスクに晒すべきではない。
この線引きができるかどうかが、Google Workspaceを「道具として使う」か「依存する」かの分かれ目になる。
道具は「借り物」か「持ち物」か
クラウドサービスは本質的に「借り物」になる。便利だが、貸主の都合で条件が変わる。料金が上がる、仕様が変わる、最悪の場合はアクセスを止められる。
ローカルの環境は「持ち物」になる。メンテナンスは自分でやる必要があるが、誰かの都合で突然使えなくなることはない。
中小製造業のDXにおいて、クラウドの便利さを活用すること自体は正しい。ただし、自社の業務データという最も重要な資産を「借り物」の上に全部載せるのは、長期的に見てリスクが高い。
Google Workspaceを使うなら、機能だけ借りる。データは自分で持つ。この原則を意識するだけで、クラウドの便利さを享受しつつ、データの主権は手放さないという両立が可能になる。