「現場のデジタル化=タブレット」という思い込み
製造現場のデジタル化と聞くと、まず思い浮かぶのがタブレットの導入。作業者にタブレットを持たせて、作業実績や検査結果をその場で入力する。紙の帳票をなくしてペーパーレスにする。展示会やセミナーでよく見るデモは、だいたいこの形になっている。
自社でも検討し、テスト的にタブレットを現場に持ち込んだことがある。結論から言うと、定着しなかった。最終的に紙に戻した。
なぜタブレットが定着しなかったか
理由は一つではなく、複数の問題が重なった。
手が汚れる。 切削油、グリス、粉塵。製造現場では手が汚れた状態で作業することが多い。タッチパネルは汚れた手では反応しにくいし、画面が見えなくなる。毎回手を拭くのは現実的ではない。
壊れる・壊す。 工場の床はコンクリート。落としたら割れる。ケースを付けても衝撃に限界がある。工具や材料が飛んでくることもある。1台数万円のタブレットを現場に置いておくのは、コストとしても精神的にも気を遣う。
作業の手が止まる。 紙にペンでチェックを入れるのは一瞬。タブレットだと画面を開いて、該当の項目を探して、タップして——この数秒の差が、作業中のリズムを崩す。作業者にとっては「面倒」の一言になる。
手袋が使えない。 安全上の理由で手袋をしている作業が多い。静電容量式のタッチパネルは手袋では反応しない。対応手袋もあるが、現場で使っている手袋を変えるのは別のコストになる。
騒音で通知が聞こえない。 工場の中は機械の音で会話も難しい場所がある。タブレットからの通知音やアラートは聞こえない。
これらは「慣れの問題」「運用でカバー」と言われがちだが、実際に試してみると、慣れで解決する範囲を超えている。現場の作業者に無理を強いて定着させても、入力データの質が下がれば意味がない。
タブレットを否定しているわけではない
誤解のないように書いておくと、タブレットが現場に合う業種・環境はある。
クリーンルームのような清潔な環境なら、手の汚れや粉塵の問題はない。検査業務で写真を撮ってそのまま記録に残すような用途なら、タブレットのカメラは便利。組立工程で図面や手順書を表示する「閲覧用」としてなら、入力の問題も少ない。
問題は、自社の現場環境を見ずに「タブレット=正解」と決め打ちすること。切削、溶接、鋳造、プレス——油や粉塵が飛ぶ環境では、タブレットは向いていないことが多い。業種や工程によって判断が変わるのが当然で、「製造業ならタブレット」という一括りは乱暴になる。
紙のほうが優れている場面
製造現場で紙が使われ続けているのは、惰性だけが理由ではない。
速い。 ペンでチェックを入れる、数字を書く。デバイスの起動もログインも要らない。
壊れない。 油で汚れても読める。落としても踏んでも平気。水に濡れても乾けば読める。
コストがゼロに近い。 紙とペンは原価がほぼない。紛失しても損害がない。
教育が要らない。 誰でも使える。ITリテラシーに依存しない。
紙の弱点は、記録がそのまま残ること——つまりデジタルデータにならないこと。検索できない、集計できない、他のデータとつなげられない。この弱点が許容できる業務なら、紙のままでいい。
「紙のまま」で困る場面だけデジタル化する
逆に、データとして蓄積・集計・検索する必要がある業務は、どこかでデジタル化しなければならない。問題は「どこで」デジタルにするかになる。
多くの導入提案は「発生源入力」——データが生まれる現場でそのまま入力するのが効率的、という考え方に基づいている。理論的にはその通りだが、現場環境がそれを許さない場合がある。
自社で取った方法はこうだった。
現場の複数箇所に固定のPCを置いた。 タブレットではなく、据え置きのPC。キーボードとマウスで入力する。画面は大きいから見やすいし、汚れた手で触る必要がない(手を拭いてから触る場所、という位置づけができる)。
入力のタイミングを「作業の切れ目」にした。 作業中に入力させるのではなく、休憩に行くタイミングや作業の区切りで入力してもらう。リアルタイム性は多少落ちるが、作業のリズムを崩さない。
入力する項目を最小限にした。 以前の記事で「データの文法」について書いたが、現場で入力してもらうのは必要最小限のデータだけ。品番、数量、完了時刻。それ以外は事務所側で補完する。
入力手段とデータ管理を分けて考える
ここでのポイントは、「現場でどう入力するか」と「データをどう管理するか」は別の問題だということ。
データ管理はデジタルのほうが圧倒的に優れている。検索、集計、紐づけ、トレーサビリティ——これは紙では無理。しかし、入力手段までデジタルにする必要があるかは、環境による。
現場の手元は紙で十分な場合がある。紙で記録したものを、作業の切れ目に固定PCで入力する。あるいは、紙の帳票を事務所で入力する。入力の手間は増えるが、現場の作業効率を落とさずにデータを残せる。
以前の記事で「手作業でできることしかシステムにできない」と書いた。入力手段も同じで、現場の作業者が無理なくできる方法でなければ、データの質は保てない。理論上の最適解より、現場が自然に続けられる方法のほうがデータは正確に残る。
「全部デジタル」も「全部紙」も極端
製造現場のデジタル化は、全か無かの話ではない。
- 紙で十分な業務は紙のまま残す
- デジタルで管理したいデータは、入力のタイミングと場所を設計する
- タブレットは環境に合えば使う、合わなければ無理に導入しない
DXの目的は紙をなくすことではなく、必要なデータが必要なときに見える状態を作ること。入力が紙でも、最終的にデータが整理された形で残っていれば、目的は達成できる。手段にこだわって現場に負荷をかけるより、「データが残る仕組み」をどこに置くかを考えるほうが現実的になる。
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