正しいのに通らない ── 知識を持つ人が組織の中で詰まる理由

知識があると2択になる

ITの知識がある人間が組織の中で詰まるとき、たいていこういう構造になっている。

知識から見れば答えはこれだ、という確信がある。確信があるから主張する。主張したとき、通るか通らないかの2択になる。通らなかったとき、「なぜわかってもらえないのか」という摩擦が残る。

悪循環というほどでもないが、スッキリしない状態が続く。

正しさと、通ることは別の話

知識の正しさと、組織の中で何かが通ることは、別の話になる。

予算がある。進めたい方向がある。判断する人間の経験や優先順位がある。「正しい答え」があっても、それがそのまま採用されるかどうかは、別の軸で決まることが多い。

もう一つ、見落としやすいことがある。自分が正しいと確信している答えが、本当にすべてを見た上での「正しい」なのかという問題。たとえばこのシステムを入れるべきだと確信していても、その資金をどう確保するのか。他の部門にどんな影響が出るのか。自分のポジションからは見えていない事情が、実はたくさんある。

通らない理由が社内の力学だけとは限らない。自分の見えていない範囲に、通さない合理的な理由があることもある。これは不合理でも理不尽でもなく、単に自分の視野の外に判断材料があるという話になる。

3つの時期があった

自分の話をすると、社内SEとして10年過ごす中で、考え方が変わっていった時期が3つある。

最初は 主張する時期 だった。知識から導いた答えを持って、それを通そうとする。技術的に正しいのだからわかるはずだ、という気持ちがあった。通ることもあったが、なんとなくスッキリしなかった。通った場合でも、何かが引っかかる感覚があった。

次は 傍観者になった時期 だった。聞かれたら答える。聞かれなければ動かない。ひたすら専門家として精度を上げることに集中する。問題は起きなかった。ただ、自分の知識が何かに使われているかどうかは別の話だった。

その次が 知識を手段にした時期 になる。自分の中に「こうあるべき答え」を持たない。会社やチームが進もうとしている方向に対して、自分の知識が使える場面があれば使う。管理者が自分でやってみたいならそれでいい。自分が指摘すれば精度が上がるとわかっていても、求められていなければ手を出さない。

手段化というのは、空気を読んで引くということではない。自分の知識がカバーしている範囲と、自分には見えていない範囲がある。技術的に正しくても、コスト・人員・他部門への影響まで含めた判断は、自分だけではできないことがある。その自覚を持つことが、結果的に周囲との関わり方を変えていった。

今すぐ変わらなくていい

この変遷を書いたのは、「早く手段化しろ」と言いたいわけではない。

主張する時期は必要だった。傍観者になったことも、その後があったから意味があった。どの時期も、経験として積み重なっている。

知識があって、正しいのに通らない——という状態にいる人に伝えたいのは、今すぐ諦めなくていいということ。ただ、時間をかけて、少しずつ変わっていく余地がある。知識を持っていること自体は、どの段階でも間違っていない。それをどう使うか、という軸が少しずつ動いていく。その中で、自分に見えていないものがある、という謙虚さが加わると、知識の使い方がもう一段変わる。


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