中小製造業の内製DXは「改善」の前に「地固め」から始める

いきなり改善に入ってはいけない

DXを始めよう、となったとき、最初に出てくる話は「原価を見える化したい」「生産計画をシステム化したい」「日報をデジタル化したい」といった改善テーマであることが多い。気持ちはわかる。目に見える成果がほしいし、経営者もそこに期待している。

しかし、改善テーマからいきなり着手すると、たいてい途中で詰まる。

データを見える化しようとしたが、そもそもどこにどんなデータがあるのかわかっていなかった。ツールを作ったが、現場との関係ができていなくて使ってもらえなかった。システムを動かし始めたら、バックアップが取れていなくて一度のトラブルで振り出しに戻った。

改善は大事だが、改善の前にやるべきことがある。 今ある状態を把握し、守る こと。ここでは「地固め」と呼ぶ。地盤が固まっていない場所に建物を建てても、傾くか崩れるかになる。

最初の一手:コミュニケーション基盤を作る

DX担当者がまず必要とするのは、現場と話せる環境になる。

以前の記事で「DXの成否は話す時間があるかどうかで決まる」と書いた。DX担当者の仕事はコードを書くことではなく、現場の言葉と技術の言葉の通訳であると。この「話す」ための基盤が、地固めの第一歩になる。

中小製造業の内製DX ── 成否は「話す時間」があるかどうかで決まる

具体的には2つのことをやる。

1つ目は、チャットツールの導入。 以前の記事で「電話でもメールでもなくチャットがちょうどいい」と書いた。チャットは導入障壁が最も低いDXで、アカウントを作ってチャンネルを設定すれば、その日から使い始められる。

中小製造業の社内連絡は、メールでも電話でもなくチャットがちょうどいい

ただし、ここで言いたいのはツールの話だけではない。チャットを入れる本当の目的は、 DX担当者が現場と日常的にやりとりできる導線を作る こと。「何かあったらこのチャンネルに投げてください」という窓口があるだけで、現場からの相談や気づきが格段に届きやすくなる。DX担当者にとっても、わざわざ現場に足を運ばなくても軽い確認ができるようになる。

チャットと合わせて、 リモートデスクトップも用意しておくといい。 DX担当者はツールの導入やトラブル対応で、現場のPCを操作する場面が出てくる。拠点が離れていれば、そのたびに移動するわけにはいかない。電話越しに「今どの画面が出ている?」とやりとりするより、相手の画面を直接見て操作するほうが圧倒的に早い。Windows Proならリモートデスクトップ機能が標準で使える。Homeエディションや、ネットワーク構成的に標準機能では対応しにくい場合は、RustDeskのようなOSSのリモートデスクトップツールがある。

2つ目は、上長の合意を取ること。 以前の記事で「管理精度型のDXはトップダウン寄りで進める」と書いた。地固めの段階でも同じことが言える。

中小製造業の内製DXには「管理精度型」と「工数削減型」がある

DX担当者が現場を回ってデータの棚卸しや業務のヒアリングをする時間を、上長が「仕事」として認めてくれるかどうか。ここが確保されないと、「早くツールを作れ」というプレッシャーの中で、地固めを飛ばして改善に走ることになる。

この2つは順番というより同時に進める話で、チャットを入れるタイミングで上長に「まず現状を把握する時間をください」と合意を取っておく。DX担当者としてのポジショニング——「この人はまず現場を見て、そこから判断する人だ」——を最初に示しておくことが、後の仕事をやりやすくする。

二手目:現状を把握する

コミュニケーション基盤ができたら、次は現状把握になる。やることは2つあるが、実際には同時にやれる。

データの棚卸し。 社内のどこに、どんなデータが、どの形式で存在しているかを把握する。見積データはExcelで営業が持っている。受注データは会計ソフトにある。図面はファイルサーバーの中。検査記録は紙で現場に置いてある。個人PCのデスクトップにしか存在しないExcelもある。

この棚卸しは、後でデータの文法を整えたり見える化を進めたりするための地図になる。地図なしに改善を始めると、「あのデータがあると思っていたのになかった」「同じデータが3箇所に別々の形式で存在していた」という事態になる。

属人化のトリアージ。 以前の記事で「脱属人化ではなく属人化のトリアージ」と書いた。即死リスク、重傷リスク、打撲リスクの3段階で仕分ける方法になる。

中小製造業は「脱属人化」ではなく「属人化のトリアージ」

この2つは別々にやる必要がない。データの棚卸しをすれば、自然と属人化リスクが見えてくる。

「この見積ロジックは○○さんの頭の中にしかない」——データの棚卸しで見積データの所在を確認していたら、ロジックが属人化していることがわかった。「このExcelは△△さんしか触れない」——ファイルの管理者を確認していたら、特定の人にしかわからない業務が見つかった。「サーバーのパスワードは□□さんしか知らない」——IT環境の棚卸しで即死リスクが見つかった。

データがどこにあるかを調べる過程で、「誰がそれを握っているか」が見える。属人化のトリアージとデータの棚卸しは、同じ作業の2つの側面になる。

棚卸しの結果は、簡単なリストでいい。どこに何があって、誰が管理していて、なくなったらどれくらい困るか。完璧な文書を作る必要はない。ざっくりでも把握できていれば、次の手が打てる。

三手目:現状を守る

棚卸しで見えたものを、次は守る。

以前の記事で「セキュリティは守り方より戻し方」と書いた。防御を完璧にすることはできない。大事なのは、何かが起きたときに戻せる状態にしておくことになる。

中小製造業のセキュリティは「守り方」より「戻し方」

棚卸しの結果を見れば、何を守るべきかは見えている。

バックアップの確認。 サーバーのバックアップは取れているか。それは本番環境と切り離された場所に保管されているか。復元テストをやったことがあるか。個人PCにしかない重要データはないか。以前の記事で書いたように、バックアップは「ある・なし」ではなく「どこにあるか」が問題になる。

即死リスクの解消。 棚卸しで見つかった即死リスク——パスワードが1人しか知らない、サーバー構成を誰も把握していない——を最優先で対処する。文書化するだけでいい。高度なシステムは不要で、パスワード管理の台帳を作る、構成図を1枚書く、それだけで即死リスクは即死でなくなる。

この段階でやることは地味で、成果物として見せにくい。「バックアップを確認しました」「パスワードを文書化しました」では、経営者へのアピールにはならないだろう。しかし、これをやっていないまま改善を進めた場合のリスクは大きい。サーバーが壊れてデータが飛んだ、担当者が急に辞めて業務が止まった——このどちらかが起きたとき、地固めの価値がわかる。

地固めが終わってから、改善に入る

ここまでの3手を整理する。

手順 やること 目的
一手目 チャット導入+上長の合意 話せる環境と、動ける時間を確保する
二手目 データの棚卸し+属人化トリアージ 今あるものを把握する
三手目 バックアップ確認+即死リスクの解消 今あるものを守る

この3手の間、新しいツールは1つも作っていない。業務フローも変えていない。やったのは、コミュニケーションの基盤を作り、現状を把握し、守っただけになる。

しかしこの地固めが終わると、改善の土台が整っている。

  • どこにどんなデータがあるか把握できている → データの文法の整理に着手できる
  • 属人化リスクが仕分けられている → 何から手をつけるかの優先順位が見えている
  • バックアップが確保されている → 新しい仕組みを試しても、壊れたら戻せる安心感がある
  • 現場との関係ができている → ツールを作ったときに使ってもらえる

改善の具体的な進め方——データの文法をどう整えるか、見える化をどこから始めるか、VBAで作るか専用言語で作るか——は、このシリーズの他の記事で書いている。地固めが終わった段階で、自社の状況に合った記事を参照してほしい。

「地味」がDXの最初の仕事

DXと聞いて期待するのは、ダッシュボード、自動化、AI活用——そういう派手な絵面かもしれない。しかし、中小製造業のDXで最初にやるべきことは、驚くほど地味になる。チャットを入れる。データがどこにあるか調べる。バックアップを確認する。パスワードを文書化する。

地味だが、これを飛ばして改善に入った会社は、どこかで足元をすくわれる。データが消える、担当者がいなくなる、現場が協力してくれない。改善の前に地固めをしていれば防げたことばかりになる。

以前の記事で「手作業でできることしかシステムにできない」と書いた。同じように、 把握していないものは改善できない 。まず知る、守る、その後に変える。この順番を守ることが、中小製造業のDXを確実に進める最初の一歩になる。

手作業でできることしかシステムにできない ── 中小製造業の内製DXの正しい順番


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